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2024年04月26日(金)
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Dragon Ashベーシスト 馬場育三さん、逝去 

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Dragon Ashベーシスト 馬場育三さん、逝去 

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IKUZONEこと馬場育三、急性心不全により逝去

Dragon Ashのベーシストとして活躍していたIKUZONEこと馬場育三が急性心不全により逝去したことが発表された。4月21日夜に自宅スタジオで倒れているところを家族に発見され都内の病院に救急搬送されたが、22時55分に死去が確認された。

馬場さんは近年、長年患ってきた橈骨神経麻痺という病気に悩まされ苦悩していた。しかし、彼は前向きな精神で自身と向き合い病魔と闘い、療養期間を経て昨年末のカウントダウンライブでバンドに復帰する事に成功していた。
音楽
(画像は公式HPより)
Dragon Ashの魅力は、降谷・BOTSに対極な位置にある馬場・桜井との楽曲の融合。HIP-HOPやラテン系を取り入れたりと、時代と共に音楽性を変えて行く柔軟性や時代性を捉える嗅覚の鋭さにあった。まさに邦楽シーンを牽引するに相応しいバンドであり、その土台としての大きな役割を持つ存在が馬場育三であった事は間違い無い。

24日、Dragon Ashメンバーの追悼コメントがオフィシャルサイトにて発表された。以下全文。

■Kj
俺とサクと馬場さん。3人で初めて音出した16年前から今まで、アナタはずっと俺達のベースヒーローでした。
年上のエキセントリックなバンドマンは俺達にギターアンプのいじり方、ドラムスティックの回し方、バンダナの巻き方、女の子の口説き方、その全てを教えてくれました。
今思えば俺達が出会った最初のロックンローラーだったんだね。

破天荒で危うい生き方を最後まで貫いて幸せな音楽人生でしたか?
俺はその傍らで声を嗄らし歌えた事、無我夢中にギターをかき鳴らせた事、両手じゃ抱えきれないくらい沢山の思い出を共に築いてこれた事、身が震えるほど幸せでした。

続きは俺が死んだらね。向こうでまたバンド組もうぜ。
お疲れ様でした。クソほどお世話になりました。

■桜井誠
自分の人生の半分以上を共にした人を失うのは苦しくて仕方ない。
ましてやバンドというものを自らの経験を通して教えてくれた唯一の人。
馬場さんがDragon Ashにいなかったら絶対に今の景色は見れていないと思う。
でもまだ感謝はしません。だって、急に抜けるのなんてずるいもん。
まだまだ旅の途中だもん。
ゴールがそこなら、着いた時にありがとうと言わせて下さい。
まだそっちいけないけど気長にまっててね。
どうか安らかに。

■DRI-V
余りにも突然の出来事で気持ちの整理がつきません。
馬場さんとの思い出を振り返ると、ツアー先のホテルで一緒にライブ映像を何度も繰り返して2人の動きをチェックしたりして、更にライブが良くなるようなアドバイスを沢山もらっていました。
だからこそFantasistaの跳び箱…今まで一度も失敗なく、 2人の息が合ったからこそ出来るパフォーマンスでした。

これからも7人でもっともっとかっこいいライブができると思っていました。
同じステージに立てないのが残念で仕方ありません。

ステージに向かって左側、馬場さんはいつも最高のダンスパートナーでした。

■ATSUSHI
馬場さんと過ごしステージという聖域で一緒に表現ができた11年と半年をとても嬉しく光栄に思っています。
馬場さんは、不器用ながらも真っ直ぐで繊細で、何よりもとても優しく愛情の深い人でした。
自分にとって馬場さんは、一人の人間としてはとても愛情を持って接してくれる兄貴分であり、一人の表現者としてはIKUZONEという素晴らしすぎる個性と華を持ったとても尊敬するベーシストでした。
今後、馬場さんに追悼と敬意の気持ちをもって、踊っていこうと思っています。
馬場さん、本当に本当にありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。

■BOTS
馬場さん、あまりにも突然の出来事、気持ちの整理も付かないままにあっという間にお別れになってしまったよ。
振り返る思い出も沢山ありすぎて何を思い返せばいいか分からないけど、昔に馬場さんが俺の事を心配して電話をしてくれた事を一番に思い出した。
正直、馬場さんの取り越し苦労だったけど俺の事思ってくれてるんだなって思って嬉しかったよ。
不器用な振る舞いだったけど誰よりもメンバー思いでバンド思い、そして一番のファン思いだった馬場さんの姿は忘れない。
馬場さんが雑誌で書いてたコラムの一文も思い返したよ、「死んでしまう事は恐く無い、でも死んでしまってみんなに忘れ去られてしまう事が一番恐い」って確か言ってたっけ。大丈夫、恋人のように毎日思う事は無いけどさ、赤と青のコントラストを見たり、長髪のスレンダーな男性を見たり、何か耳に入った音楽のベース音を聞く度に馬場さんの事を思い出すようにするから、そっちの場所でも安心して頂戴。
一足先にそっちに行った仲良かったスタッフも突然馬場さんが来たから驚いてるだろうけど、また前のようにバカ話しててよ、二人とも酒大好きだったし、いっぱい飲んでさ、好きなだけベース弾いて楽しんでてね。俺もいつかはそっちに行く事になるし、話のネタ沢山ためておいてよ。今は一旦、お疲れさまと言わせて、また会う事を楽しみにしてるから。

■HIROKI
馬場さん 贈る言葉は見つからないけど、まだまだ弾き足りないよ!

腕磨いとくわ! どっかでまたやろう!

オレのロックスター IKUZONE! そして戦友! めっちゃ愛してる!

また、Dragon Ashとのコラボで一時代を築いたHIP-HOP界の重鎮 Zeebraや、馬場さんがVirus在籍期に所属していたExtasy Recordsの設立者であったX-JAPANのYOSHIKIなど、馬場さんの早過ぎる死に様々な業界の著名人からツイッターやブログ等ネット媒体で追悼コメントが寄せられている。馬場さんがメンバーやスタッフ、仲間達に愛されてたことが痛い位に伝わってくるコメントばかりである。

陽はまたのぼりくりかえす

一つ、とあるエピソードを紹介したい。
馬場さんが生前、X-JAPANhideを尊敬していたのは有名である。98年、hideが不幸な事故により逝去。ファンは深い哀しみに暮れる日々を過ごしていた。そんな時期、某音楽番組のライヴにてDragon Ashが「陽はまたのぼりくりかえす」を披露。hideの代名詞でもあるイエローハートのギターを弾くKjの姿と、一心不乱にベースを弾く馬場さんの姿が心を打った。馬場さんは生前「やっとhideさんに聞かせられる曲ができた」と、この曲が産まれた時の事を振り返っている。だが、その願いは叶う事は無かった‥しかし、この曲はhideのファンの心に届き、彼等の心を癒すという奇跡を起こした。実際にhideファン以外にも「陽はまたのぼりくりかえす」を聴いて、気持ちが前向きになれたという人は数多く存在している。

この名曲は、哀しみや苦労を乗り越え前向きに進み、生きていける様に背中を押してくれる、そんな優しさが詰まっている。馬場さんのファンの心もきっと癒してくれる筈…。馬場育三さん、素晴らしい音楽をありがとう。御冥福をお祈りします。

外部リンク

Dragon Ash Official Site

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