スティーブン・スピルバーグ(1947~)
サミュエル・L・ジャクソン出演、マイケル・クライトン原作のアメリカらしいSF物語、『ジュラシックパーク』を描き、全世界を合わせ9億ドルもの興行収入を叩き出した監督、それがスティーブン・スピルバーグである。製作費、製作日数を抑えながら名作を描き続ける、世界最大のヒットメーカーとも言うべき人物である。彼が映画技術のすべてを司る大職人であるからこそ、それを成せるのだ。

1947年、アメリカのオハイオにて生まれる。本名はスティーブン・アラン・スピルバーグ。ドイツ系ユダヤ人の家系、父は電気技師、母はピアニスト、後にレストラン経営者である。幼少時代から映画に親しみ、ディズニー作品、スタンリー・キューブリック、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコックなどに心酔する。中でも殊、「生みの親でもあり、育ての親」だと語るのがディズニー作品。明るさと温かさと楽しさ、そして些やかなる教訓の含まれた同社の映画作品は、後の偉大な映画監督に大きな影響を与える。1965年、18歳、カリフォルニア州立大学の映画科へ進学。勉学と並行し、映画会社ユニバーサルに通い詰め、実地の技術を貪欲に吸収する日々が続く。翌1966年、19歳、ユニバーシャル社の空き部屋に居候を初め、空き時間すべてを映画製作の技術修得に費やす。1968年、21歳、同社にて知り合った知人から出資を受け、映画『アンブリン』を初製作。同作品が評価され、ユニバーサル社との契約を果たす。1969年、22歳、カリフォルニア州立大学中退後、テレビや映画の製作業に専念。1972年、25歳、恐ろしく限られた時間の中で、ミステリアスなサスペンス、カーアクション劇、テレビ映画『激突!』を製作。同作品の大成功により監督としての手腕を認められ、『ジョーズ』、『未知との遭遇』、子役時代のドリュー・バリモア出演『E.T.』、ハリソン・フォード主演『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』といったエンターテイメント性に優れた傑作を次々と描き出す。こうして映画監督として揺るぎない地盤を築いた以後は、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『ジュラシックパーク』シリーズのような気軽に鑑賞できるエンターテイメント作品、トム・クルーズ主演『マイノリティ・リポート』、『宇宙戦争』、スタンリー・キューブリック原案、ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ主演『A.I.』といったSF作品、モーガン・フリーマン出演『アミスタッド』、ベン・キングスレー出演『シントラーのリスト』、トム・ハンクス主演『プライベート・ライアン』、ダニエル・グレイグ出演『ミュンヘン』といった重厚な史実作品まで、ありとあらゆる傑作品を描き続けている。また、1994年、47歳からは自身の映像会社ドリームワークスを設立しており、経営者としての仕事も兼ねている他、クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』のように製作の仕事をこなしたり、ロバート・ゼメキス監督、マイケル・J・フォックス主演『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ、トム・ハンクス主演『キャスト・アウェイ』、アントニオ・バンデラス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ主演『マスク・オブ・ゾロ』、マイク・マイヤーズ、キャメロン・ディアスらが声優を務める『シュレック』など、製作総指揮という立場から映画製作に携わる事もある。もっとも、製作総指揮としての仕事はそれほど重責を担わずとも良く、多少の助言や簡単なプロデュースなどに留まることが多い。
1985年、38歳、女優のエイミー・アーヴィングと結婚し、1人の子どもをもうけたが、4年後の1989年、42歳にて破局。1991年、44歳、インディ・ジョーンズのオーディションで知り合った女優ケイトと結婚し、現在に至る。映画製作中、思考が滞り始めた際に鑑賞する映画として、ジョン・フォード監督『捜索者』、黒澤明監督『七人の侍』、フランク・キャプラ監督『素晴らしき哉、人生!』、ピーター・オトゥール主演『アラビアのロレンス』を挙げる。『スターウォーズ』シリーズを描いた監督、ジョージ・ルーカスとは大親友。フォーブス誌によると、2006年の年間収入は332億円。
ちなみに、彼が監督としての手腕が注目されることとなったテレビ映画『激突!』は、先述の通り恐ろしく限られた時間の中で製作されており、具体的には撮影10日、編集6日、合計の製作日数はわずか16日間である。まったく飽きさせない、緊張感とメリハリのある同作品の質の高さを目の当たりにした者であれば、到底、その製作日数は信じがたい数字であるに違いない。映画製作に必要なのは時間と費用であるが、それ以上に、芸術製作に必要なのは根気と才能なのである。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Steven Spielberg (IMDb、英語)