ルネ・クレマン(1913~1996)
D・ラピエール、L・コリンズ著の傑作ドキュメンタリー小説原作、カーク・ダグラス主演『パリは燃えているか?』を描いた監督、それがルネ・クレマンである。フランス人らしい、実に優美な、そして情緒的な感性に富んだ風景、音楽、人物描写などが秀逸であり、史実に基づく骨太の戦争作品からコメディ作品まで、幅広い独創性に富んだ作品を手掛けた人物だ。
1913年、フランスのボルドーにて生まれる。少年時代に映画と出会い、並々ならぬ興味を抱く。1918年、15歳、パリの美術学校に進学、建築学の修学に励むと共に、一層映画の世界に没頭、映画監督の道を目指し、独学でカメラ技法などを学ぶ。1931年、18歳、16ミリの芸術的な短編映画を製作したのを契機に、映画会社にて働き始める。カメラマン、助監督として映画作品の製作に携わり、1936年、23歳、20分間のモノクロ・コメディ短編作品『左側に気をつけろ』で初監督を果たす。短編作品でキャリアを重ね、1939年、26歳、第二次大戦勃発後、フランス陸軍映画班として参戦、アフリカ、中東戦線における記録映画の製作に携わる。1944年、31歳、第二次大戦末期、フランス軍事活動委員会が、ナチス占領下におけるフランスの鉄道従業員組合のレジスタンス活動を描くドキュメンタリー映画を依頼。製作を始め、翌1945年、32歳、終戦後、ドキュメンタリー作品『鉄路の闘い』を完成。同作品が成功を収め、一気にフランス人映画監督としての地位を確立する。『海の牙』、『鉄格子の戦い』などの史実作品を製作後、1951年、38歳、子どもの視点から描かれる戦争作品、『禁じられた遊び』を製作、同作品にてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー外国語映画賞を受賞し、国際的な映画監督として脚光を浴びる。以後、ジェラール・フィリップ主演『しのび逢い』、アラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』、カーク・ダグラス主演『パリは燃えているか』、エミール・ゾラ原作『居酒屋』など、サスペンス、史実、恋愛、コメディなど、幅広いドラマ作品を描き続ける。1996年、86歳にて永眠した。
名作と呼ぶべき作品が多いのだが、日本ではあまり取り扱いを重視しておらず、筆者の近所に位置する大型レンタルビデオ店では『禁じられた遊び』が置かれている程度である。ネットレンタルでも取り扱いはほとんど無い。ヨーロッパのクラシック映画全般に言える事であるが、こうにもメディア芸術の享受が許された時代に、そうした名作品の鑑賞に多大な困難を要する事は、至極残念な事である。
生涯独身を通した。恋愛遍歴など、私生活上の情報はほとんど明らかになっていないが、バイセクシャルであったとの噂もある。『太陽がいっぱい』に主演したアラン・ドロン、『ベニスに死す』の監督ルキノ・ヴィスコンティ、また自分のボディガードが恋人であったのではないかと言われているが、その真偽は不明である。
ちなみに、筆者の小学校時代、給食が始まる前に必ずかけられる音楽が、『禁じられた遊び』でお馴染みのテーマ曲「愛のロマンス」であった。この名曲を耳にして学校給食を先に思い出してしまうのは、どうにも映画ファンの筆者にとっては耐えがたき屈辱である。――それはさて、「愛のロマンス」は新たな映画音楽ではなく、元々はスペイン民謡であったものを、ギター奏者ビセンテ・ゴメスが編曲し直して完成した傑作楽曲である。当初はオーケストラ演奏の予定であったが、製作予算を超過してしまった為、そのままギター1本の楽曲として作中に盛り込まれた。結果、あの素朴なギターのクラシカルな音が、かえって同曲を名曲たらしめるに至る。
ムービーデータベース(IMDb、英語)René Clément(IMDb、英語)