カーク・ダグラス(1916~)
ジョン・スタージェス監督の西部劇傑作品、アメリカ史に刻まれている西部開拓時代の大決闘を描いた『OK牧場の決闘』では、バート・ランカスターが保安官ワイアット・アープ役を演じている。彼と共に戦った医師でありギャンブラー、ドク・ホリデイ役を演じた俳優、それがカーク・ダグラスである。毅然とした表情からは冷静で冷徹な雰囲気が醸し出される一方、紳士的で人情味も併せ持ち、主人公としての確固たる存在感を示す事の出来る人物である。

1916年、アメリカのニューヨークにて生まれる。本名はイーズル・ダニエロヴィッチ。両親はベラルーシ出身のユダヤ移民、父は会社員。6人兄妹である。少年時代からはスコットランド系の名前、イジー・ダムジーを名乗るようになるが、これは職を得る際にユダヤ的な差別を受けないようにする為である。それほど裕福ではなかった為、学生時代は40以上のアルバイトに奔走する。1931年、15歳、高校進学後、自らの煩雑な生活から逃れる唯一の活動、演技と出会い、俳優への道に強い憧れを抱く。1934年、18歳、大学構内の庭師、大学寮の管理人のアルバイトと並行する形で、セントローレンス大学へ進学。勉学、仕事と共に、レスリング選手としても活躍する。1938年、22歳、奨学金を得てアメリカ芸術アカデミーに進み、本格的な演技の勉学を始める。俳優カーク・ダグラスとして舞台などのキャリアを踏み始めるが、1941年、25歳、第二次世界大戦の激化に伴い、アメリカ海軍として参戦する。1944年、28歳、戦闘の負傷により退役後、ニューヨークに帰還、ラジオ番組や舞台などで俳優活動を始める。1946年、30歳、映画初出演を果たした後、『三人の妻への手紙』、『ガラスの動物園』、『悪人と美女』、『ザ・ビック・ツリー』など、史実作品、西部劇等、深みのあるヒューマンドラマ作品にて好演、大きな注目を浴びる。以後、も史実作品『パリは燃えているか』、『OK牧場の決斗』、『炎の人、ゴッホ』、西部劇『戦う幌馬車』、『大西部への道』といったドラマ作品の他、コメディタッチの西部劇『大脱獄』や、ジュール・ヴェルヌ原作のSF作品『海底二万哩』など、幅広い活躍を続ける。また、1957年、41歳、スタンリー・キューブリック監督の戦争ドラマ作品『突撃』、1960年、44歳、同監督の史劇作品『スパルタカス』など、主演と共に製作にも携わる事もあり、製作者としての手腕も確かである。2004年、88歳、『イリュージョン』出演後に俳優業を引退したが、2008年、92歳、テレビ映画への出演をしている。
1943年、27歳、女優ダイアナと結婚、2人の子どもをもうけるも、8年後の1951年、35歳にて破局。1954年、38歳、アンと結婚、2人の子どもをもうけ、現在に至る。ダイアナとの間に生まれた長男が、オリバー・ストーン監督『ウォール街』、デヴィッド・フィンチャー監督『ゲーム』などでお馴染みの名俳優、マイケル・ダグラスである。他、3人の子どもたちもまた映画業への道を歩む。アンとの間にもうけた次男エリックも俳優になるが、精神疾患、薬物依存などを経て、2004年、46歳にて逝去した。
ちなみに、『パリは燃えているか?』は、D・ラピエール、L・コリンズ著の傑作ドキュメンタリー小説を原作とした映画作品である。原著のエピグラフには、ドイツ国防軍最高司令部発、第772989/44号、1944年8月23日午前11時付けの書類が記載されている。本書によると、ナチス帝国崩壊末期、ベルリンの地下壕からヒトラーは、何度も何度も、西部戦線の司令官たちに次のような緊急極秘命令を下し続けたという。「セーヌ河に掛かっているパリ地区の架橋の破壊を準備せよ!パリを敵の手中に渡してはならぬ!もし、敵の手中に渡すときには、パリは廃墟になっていなければならぬ!」――ナチス占領軍の指揮を取っていたディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍は、とうとうこの総統の言葉に従わず、自軍の完全降伏に打って出た。従わなかったのか、従っている余裕など無かったのか、そのどちらであるかは分からぬし、あるいはどちらでもあるだろう。とにかくこうして、美しき都パリは、パリのまま、21世紀も我々を楽しませ、喜ばせている。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Kirk Douglas (IMDb、英語)