フランク・シナトラ(1915~1998)
マリリン・モンローは後年、ジョン・F・ケネディ大統領と親密な仲に発展していたのだが、この2人を繋げたマリリンの大親友、それがフランク・シナトラである。シナトラ自身もかつてはマリリンの恋仲であった。彼は類稀なる見事な歌唱力を持った名歌手であり、躍動感のある名俳優でもあった。混沌とした活気に満ちた古きアメリカの時代を彩った、最高のエンターテイナーのうちの1人である。

1915年、アメリカのニュージャージーにて生まれる。本名はフランシス・アルバート・シナトラ。両親はイタリア移民。父は消防士である。少年時代は世界大恐慌などの影響から厳しい家計の中にいた。1930年、15歳の頃、ラジオ番組で大人気を博していたビング・クロスビーに憧れ、歌手への憧れを強くする。高校中退後はストリートミュージシャンとして活動を始め、1935年、20歳、地元のイタリア人ボーカルグループに参加、アメリカ各地の巡業、ラジオ番組などのキャリアを積む。1939年、24歳、楽団の専属歌手としてプロデビューを果たし、一気に注目を浴びる。同年より第二次世界大戦が勃発、フランクはアメリカ、ヨーロッパなどを巡りながら、確実に歌手としてのキャリアを築く。特に恋人や夫が戦地に赴いている若い女性たちに絶大な支持があり、実際の歌声を聴いたファンの中には、失神は勿論の事、あまつさえ失禁までしたという者もいたらしい。一方、俳優としての活動も始め、1941年、26歳、『ラスベガスの夜』、1943年、28歳、『グッドモーニング・ビバリー』など、ミュージカル映画への出演を果たした。終戦後は高騰した人気が収まり、1950年、35歳、喉の疾患を経てスランプに陥るも、1953年、38歳、『地上より永遠に』にて脇役を熱演し、アカデミー賞助演男優賞を受賞、映画俳優として再びスターダムの舞台に上がる。『上流社会』、『オーシャンと十一人の仲間』などの映画へ出演する一方、歌手としてもジャズ要素の強い力の在る楽曲を数々生み出す。また、「シナトラファミリー」としてフランクと共に活動を行っているメンバーのうちの1人、ピーター・ローフォードが、1954年、フランク39歳の頃、当時若手上院議員であったジョン・F・ケネディの妹と結婚し、この繋がりから政界の面々との親交が始まる。1960年、45歳、ケネディが大統領選に出馬した際は、全力で彼の支持活動に参加をした。以後は映画俳優、歌手として大きな活躍をし続けた後、1971年、56歳にて引退を表明。ただし完全に引退はせず、仕事の頻度を減らしながら活動を続けた。1998年、83歳にて永眠する。
4度の結婚暦がある。1回目のナンシーとの間に3人の子どもがいる。1954年、39歳にて企画された映画作品の共演者としてマリリン・モンローと出会い、恋仲を経て、親友に至る。恋愛遍歴は華々しく、ローレン・バコール、キム・ノヴァク、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドといった名女優たちと親密な関係を持った。1950年、35歳頃からイタリア系マフィアとの交流が始まり、歴代の大ボスとも深い親交がある。
ちなみに、マリオ・プーゾ原作、後にフランシス・コッポラの手で映像化される史実文芸作品『ゴッドファーザー』に登場する歌手、ジョニー・フォンティーンは、フランク・シナトラをそのままモデルにしていると言われている。当時、彼とマフィアとの関係を明らかにする事は禁忌であり、報道関係者の間では暗黙の了解が取られていたが、プーゾはこれを見事に破った事となる。その後、たまたまパーティーの席にてプーゾと鉢合わせをしたフランクは、プーゾにありったけの罵声と怒号を浴びせたという。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Frank Sinatra(IMDb、英語)