ヘンリー・フォンダ(1905~1982)
『怒りの葡萄』、『荒野の決闘』、『アパッチ砦』といったジョン・フォード監督の西部劇傑作に出演し続けた俳優、それがヘンリー・フォンダである。フォード監督作品の主演俳優としてジョン・ウェインと共に明るく温かい彩を放ち、西部劇、そしてヒューマンドラマ作品において、人間味溢れる誠実な男として銀幕を魅了した人物だ。
1905年、アメリカのネブラスカにて生まれる。本名はヘンリー・ジェイン・フォンダ。父は広告印刷業者。家はクリスチャン・サイエンス、キリスト教科学という新宗派に属していた。少年時代は内気であり、絵や文学に興味と才能を示す。ボーイスカウト活動を始めるようになると明朗な性格を有すようになり、同時に俳優の道への憧れを示す。1923年、18歳、ミネソタ大学へ進学、ジャーナリズムの勉学を始めるが、1925年、20歳、アマチュア劇団への参加を機に中退。舞台俳優としてしばらく活動するが、1927年、22歳、俳優を辞して会社員となる。翌1928年、23歳、再び俳優業を始め、地道にキャリアを積んだ後、1929年、24歳にてブロードウェイの舞台への出演を果たす。舞台俳優として演技の技術を磨き、次第に才能が認められ、1935年、30歳、映画初出演。続けてベティ・デイヴィス共演『黒蘭の女』、『或る女』、サスペンス作品『暗黒街の弾痕』、ジョン・フォード監督『モホークの太鼓』、『若き日のリンカーン』などの名作にて、難解さを伴う役柄を好演、俳優としての確固たる基盤を築く。以後、ジョン・フォード監督の西部劇作品を始め、オードリー・ヘプバーン共演、トルストイ原作の文学作品『戦争と平和』、アルフレッド・ヒッチコック監督『間違えられた男』、ミステリー傑作『十二人の怒れる男』など、幅広い分野において名演技を披露し続けた。1982年、77歳、永眠。
5度の結婚暦があり、2回目のフランシスとの間に2人の子ども、3回目のスーザンとの間に1人の子どもがいる。フランシスとの間に生まれた息子ピーター、娘ジェーンは共に映画界の道を歩んだ。フランシスはニューヨーク経済界における重鎮の令嬢であったが、後に精神病を患い自殺。ヘンリーが2人の子どもたちの事を鑑みこの真実を押し隠した事で、後年、彼らとの間に軋轢が生じた。和解をしたのはヘンリーが晩年になってからである。先述の通り、絵画や文学の才能に恵まれており、趣味のみならず画家としてデザイナーとしての仕事や展覧会などをこなした。黄色いバラを好んで植栽。これに由来して、後に黄種バラの一種に「ヘンリー・フォンダ」という品名が付けられている。
ちなみに、ピーター、ジェーンとの和解後は彼らと共に映画に関わり、1979年、74歳にてピーター監督の『グランド・キャニオンの黄金』へカメオ出演を、1981年、76歳にてジェーン企画による『黄昏』への主演を、それぞれ果たしている。『黄昏』ではアカデミー主演男優賞、ゴールデングローブ賞を受賞した。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Henry Fonda (IMDb、英語)