ゲイリー・クーパー(1901~1961)
フランク・キャプラ監督のヒューマンドラマ傑作、『オペラハット』、『群集』にて主演を果たしている俳優、それがゲイリー・クーパーである。背が高く、イギリスらしい端正な顔立ち、紳士をユーモアをバランス良く兼ね備えた、珠玉のダンディズムを醸し出す人物である。彼は紛れも無くハリウッド黄金期の大スターであり、出演した作品の多くを名作と評する事が出来る。
1901年、アメリカのモンタナにて生まれる。本名はフランク・ジェームズ・クーパー。良心はイギリス系、父は牧場主と検事を務めていた。少年時代は牧場の手伝いをする一方、コミックに興味を示し、自ら筆を取る。1919年、18歳、大学へ進学し美術を学ぶが、次第に演劇への情熱を感ずる。1923年、22歳、大学を卒業しセールスマンとして働いた後、1924年、23歳より西部劇エキストラのアルバイトを始める。1926年、25歳、名製作者サミュエル・ゴールドウィンに見初められ、『夢想の楽園』にて本格的な映画出演を果たす。ゴールドウィンは彼の演技を見ながら、「背中だけでも女性ファンを魅了する」と絶賛した。1929年、28歳、『バージニアン』、そして1930年、29歳『モロッコ』の2作品において好演、作品の成功と共にゲイリーもスターダムを駆け上る。以後、フランク・キャプラ監督『オペラハット』、オードリー・ヘプバーン共演『昼下りの情事』、ヘミングウェイ原作『誰が為に鐘が鳴る』、実話を元にした西部劇『真昼の決闘』など、数々の名作ドラマへの出演を続けた。1961年、60歳、ガンにより永眠する。
1933年、32歳、女優サンドラと結婚し1人の娘をもうけるも、1961年、64歳にて破局。この結婚帰還中の1949年、48歳にて『摩天楼』で共演した女優パトリシアと不倫関係に発展、その後パトリシアはゲイリーの子どもを宿したが、カトリック教のサンドラが離婚に応じない事で出産を断念、中絶した。ゲイリーの娘は後に名ピアニストとなり、現在でも活躍中の名ピアニスト、ジョパン演奏家として名高いバイロン・ジャニスと結婚している。
ちなみに、『オペラハット』の原題は《Mr.Deeds Goes to Town(ディーズ氏が街へ行く)》であり、製作から66年後の2002年、アダム・サンドラー、ウィノナ・ライダー主演の『Mr.ディーズ』としてリメイクがなされている。とは言え、流石はアダム・サンドラー、物語の骨子はまったく同じにも関わらず、リメイク版は実に見事にサンドラー色に染まっている。ただただ、面白い。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Gary Cooper (IMDb、英語)