ウォルト・ディズニー(1901~1966)
ダコタ・ファニングが主人公リロ役の声を演じている愉快な長編アニメ作品、『リロ・アンド・スティッチ』を製作した会社、それがディズニー社である。ディズニー社、そしてディズニーという世界的な文化を築き上げた人物、それがウォルト・ディズニーだ。温かな演出と磨かれた教訓、普遍的な映像と音楽の楽しさが盛り込まれた作品が、ディズニー作品の魅力である。

1901年、アメリカのカリフォルニアにて生まれる。本名はウォルト・イライアス・ディズニー。アイルランド系の血筋、父は元金鉱業者の鉄道員、後に農業を経て工場経営者へ。兄のロイがいる。1905年、4歳、親戚のいるミズーリに移住、両親は農業を始める。この少年時代、ウォルトは兄ロイと共に無給の新聞配達に精を出し、1911年、10歳にてカンザスシティーへ移住するまで、早朝3時半から6年間欠かさずに仕事を続ける。その一方、絵画に強い興味と才能を示し、1908年、7歳より独学で描いた絵を売って小遣いにする。絵の才能を磨き続けた後、1916年、15歳、高校にて通常の勉学に携わる一方、夜間の美術学校に通い本格的な絵画のキャリアを重ねる。翌1917年、16歳、第一次世界大戦の激化によりアメリカ合衆国が参戦、激しい愛国心に駆られて兄と共に軍隊に志願する。同戦争では年齢の手続き上、実践には参加せず、赤十字社の衛兵として治療、輸送の仕事に従事する。1918年、17歳、第一次世界大戦の終結後は漫画家を志し、新聞掲載漫画や広告デザインなどの仕事をこなしながら日銭を稼ぐ。1920年、19歳、アニメーターとしての仕事を得て、この経験によりアニメへの情熱を覚える。翌1921年、20歳、後にディズニー社となるアニメ制作会社を設立。これより作画や演出に類まれな才能を示したウォルトは、ロイ、そして親友アブ・アイワークスらと共にアニメ製作に携わり、『不思議の国のアリス』をモチーフとした『アリスコメディシリーズ』、『しあわせうさぎのオズワルド』といった作品で好評を博する。1928年、27歳、ユニバーサル社と契約上の問題が生じ存亡の危機にさらされるも、難局を乗り越え、その結果として「ミッキーマウス」というネズミのキャラクターを創作。同年に製作されたトーキー式(音声入り)のモノクロアニメ短編、ウォルト自身がミッキーマウスの声を演ずる『蒸気船ウィリー』が大成功を収め、これによりディズニー社の地盤を固めるに至る。以後、『ミッキーマウス』シリーズ、『白雪姫』、『ピノキオ』、『シンデレラ』、『ふしぎの国のアリス』、『ピーター・パン』、『101匹わんちゃん』などの不朽のアニメ傑作映画、『リラクタント・ドラゴン』、ジュリー・アンドリュース主演『メリー・ポピンズ』などのアニメと実写の融合作品といった製作に携わる一方、後に世界的なテーマパークとなるディズニーランドの設立も手がける。1966年、65歳、肺がんにより永眠する。
1925年、24歳、ディズニー社の同僚であったリリアンと結婚、2人の子どもをもうけて生涯を共にした。後年は大酒飲みとなり、朝食はスコッチ・ウィスキーに浸したドーナッツという事も多かったという。愛に溢れる数々の名作を残す一方、ウォルト本人はアイルランド系らしい荒っぽさを持ち合わせていたようで、黒人差別、女性差別の思想傾向が批判される事もある。
ちなみに、地球上において初めてディズニーランドがオープンした1955年7月17日、ウォルトはこう演説した。「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所であって欲しいと願います。」――時間を忘れてとびきっきり楽しむ場所、それがディズニーランドの理念なのだ。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Walt Disney (IMDb、英語)ウォルト・ディズニー,白雪姫,ディズニーランド,映画,シネマのすすめ