リドリー・スコット(1937~)
フィリップ・K・ディック原作のSF傑作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を、ハリソン・フォード主演、『ブレードランナー』として見事に映像化してみせた監督、それがリドリー・スコットである。CM製作時代から培った凝縮された映像美、そして肉迫した物語のシチュエーションが秀逸な人物だ。
1937年、イギリスのタインアンドウィアにて生まれる。父は軍人、階級は大佐。兄と弟がいる。幼少時代は軍務の関係で各地を転々とし、1945年、8歳、第二次大戦終了後はイギリス東北部のディーズサイトに移住。同地は工場地区として知られ、ここでの生活経験は後の『ブレードランナー』における無機質な街の描写に一役買っているらしい。この時期から映画に親しむようになり、オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』、ピーター・オトゥール主演『アラビアのロレンス』などが特別に気に入った作品となる。1955年、18歳、ウェスト・ハートブル美術大学にてグラフィックデザイン、美術、舞台芸術などの勉学に励んだ後、ロンドン王立美術大学へ進学、同校にて本格的に映画を研究する。1963年、26歳、同大学卒業後はBBCテレビ局の舞台装置、ディレクター担当として職に就き、幾つかのテレビドラマやドキュメンタリー番組制作に携わる。1968年、31歳、友人らと共にテレビコマーシャル(CM)製作会社を設立。優れた手腕を発揮し、1900本以上のCMを手掛け、映像製作者としての地位を確立する。1977年、40歳、『デュエリスト/決闘者』にて映画初監督を果たすと、1979年、42歳、後にシリーズ化される傑作SFサスペンスホラー『エイリアン』を製作。同作品の大成功により、活動の中心地をアメリカに移す。以後は『ブレードランナー』、トム・クルーズ主演『レジェンド/光と闇の伝説』、デミ・ムーア主演『G.I.ジェーン』、マイケル・ダグラス、松田優作、アンディ・ガルシア共演『ブラック・レイン』、ロバート・ゼメキス製作、ニコラス・ケイジ主演『マッチスティック・メン』、デンゼル・ワシントン主演『アメリカン・ギャングスター』など、名立たる名俳優たちと共に、自身の感性を発揮した幅広い物語を描き続けている。
2度の結婚暦がある。1人目のフェリシティとの間に2人、2人目のサンディとの間に1人の子どもがいる。イギリスの自宅に日本人女中を雇っていた事がある。映画製作においてリドリーが絶大の信頼を寄せるスタッフとして、編集のピエトロ・スカリア、編集助手の横山智佐子、作曲家ハンス・ジマーらがいる。映画監督の弟、トニー・スコットと同様、キューバ葉巻きの愛用者である。
ちなみに、『ブラック・レイン』は日本、大阪が舞台のリドリー味溢れる名作であるが、日本の伝統的な麺類、うどんを食する一場面に、欧米人は一驚を喫したという。音を立てて麺をすすり上げるのが我々のうどんの食し方であるが、音を立てずに食べる作法が伝統的である欧米人にとって、これはまったく異文化そのものに見えたそうだ。――20世紀から、瞬く間に狭くなっていく地球の世界。しかし我々地球人は、我々が考えている以上に、自分たちの事を知らないのかもしれない。そしてその無知から生じる誤解によって、我々は争い合うのだ。皮肉な事に、地球が狭くなればなるほど、その可能性は高い。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Ridley Scott (IMDb、英語)