グレゴリー・ペック(1916~2003)
エリア・カザン監督、アメリカ国内におけるユダヤ人問題を始めて取り上げたヒューマンドラマ傑作『紳士協定』にて主人公を演じた俳優、それがグレゴリー・ペックである。知性と温和と威厳を醸し出しつつ、かつ明るい朗らかさをも兼ね備える人物だ。
1916年、アメリカのカリフォルニアにて生まれる。アイルランド、イングランドの血筋。父は薬剤師である。父の勧めにより医学の道を目指していたグレゴリーであるが、次第に演劇への憧れを強くする。1934年、18歳、カリフォルニア大学バークレー校にて医学の勉学に励むも、1938年、22歳、大学卒業後はニューヨークへ移住、これより演劇学校に通い、本格的な演技の経験を積み始める。ブロードウェイ劇場の舞台俳優として地道にキャリアを重ねた後、1944年、28歳、『栄光の日々』にて映画初出演を果たす。同作品から力強い存在感に注目が集まり、続けて『王国の鍵』、『愛の決断』、アルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』、同監督『パラダイン夫人の恋』、『白昼の決闘』、『仔鹿物語』、『紳士協定』といったヒューマンドラマ傑作に堂々たる出演を果たし、これらの作品の成功により俳優としての確固たる地盤を築く。以後も、ジョン・ヒューストン監督、ハーマン・メルヴィスル原作の文芸作品『白鯨』、アーネスト・ヘミングウェイ原作の文芸作品『キリマンジャロの雪』、ウィリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘプバーン共演『ローマの休日』、同監督『大いなる西部』、第二次世界大戦時のギリシャ、エーゲ海を舞台とする『ナヴァロンの要塞』など、幅広いヒューマンドラマ傑作への出演を続けた。また、後年は演技の質を変え、ローレンス・オリヴィエ共演『ブラジルから来た少年』、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演『ケープ・フィアー』など、奇怪な役柄でも見事な演技を披露する。1996年、80歳にて俳優業の引退を発表したものの、2年後の1998年、82歳、テレビ映画にて復帰。その後はテレビを中心に活躍を続ける。2003年、87歳にて永眠する。
2度の結婚暦がある。1人目のグレタとの間に3人、2人目のベロニカとの間に2人の子どもがいる。アカデミー協会、ハリウッド俳優組合など、幾つかの映画団体において会長を務めた。ゲイリー・クーパーとは親友で、演技について真剣な議論を交わす事もしばしば。政治的な発言の中にリベラルな明るさがあり、そのお陰でリチャード・ニクソン大統領のブラックリストに入れられた。
ちなみに、2003年にアメリカ映画協会が実施した「映画の登場人物ヒーロー」に関する調査では、グレゴリー・ペック演ずる『アラバマ物語』の主人公、フィンチ弁護士が堂々の第一位を獲得した。この物語はハーパー・リー原作の、1930年代における黒人問題を取り上げた骨太のヒューマンドラマ。原題の『To Kill a Mockingbird』は、モッキンバード(マネシツグミ、ものまね鳥)を殺す、の意。これは偏見と差別によって罪の無い黒人の人生を破滅させる、という暗喩を含む言葉。少々強引に日本語意訳をするのならば、『なぜ我々はものまね鳥を殺すのか』、『ものまね鳥が消えるとき』、といったところだろうか。さて――現実には、この映画が公開されてから3年後にマルコムXが、更に3年後にキング牧師が暗殺された。両者共、公民権運動における最大の功労者である。イギリス、黒人、ドイツ、ソ連、イスラム……新大陸、アメリカ合衆国の歴史は、敵対と団結という、深い人間的な相克に満ちている。シャイクスピア劇の一幕に、こうある。「ヒーローがいない国が不幸なのではない。ヒーローがいなければならぬ国が不幸なのだ。」
ムービーデータベース(IMDb、英語) Gregory Peck (IMDb、英語)