エリア・カザン(1909~2003)
エルヴィス・プレスリーが演技において大きな影響を受けた俳優はマーロン・ブランドである。マーロン主演の映画、ヴィヴィアン・リー共演、「欲望という名の電車』を描いた監督、それがエリア・カザンである。迫力のある感情表現が秀逸なヒューマンドラマを描く人物である。特にマーロン・ブランド、ジェームズ・ディーンといった感情味溢れる俳優を起用した作品は、傑作だ。

1909年、旧オスマン帝国のイスタンブールにて生まれる。本名はエリア・カザンヤグルー。ギリシャ系、父は行商人。弟がいる。1913年、4歳、絨毯の販売を手掛ける父の仕事の関係で、アメリカ、ニューヨークへ移住。内気な性格であったが、次第にショービジネスの世界に憧れを抱く。1927年、18歳、演出家を志しイェール大学演劇科へ進学、本格的に舞台芸術の勉学を始める。同大学では俳優としても経験を積む一方、一時的に共産党の活動に参加する。1931年、22歳、大学卒業後もニューヨークの劇団に所属する形で、引き続き演出家としてのキャリアを重ねる。1937年、28歳、『栄光の都』で映画初監督、1942年、33歳、舞台『危機一髪』では演出を担当するなど、これらの作品の成功にて注目を浴びる。1944年、35歳、『ブルックリン横町』にてハリウッド映画への本格的な進出を果たすと、1947年、38歳、グレゴリー・ペック主演、娯楽性を残しつつ、真摯にアメリカ国内のユダヤ人差別問題を取り上げたヒューマンドラマ、『紳士協定』を製作。同作品はアカデミー作品賞、監督賞、助演女優賞を受賞する大成功を収める。続けてマーロン・ブランド主演の舞台劇、『欲望という名の電車』の演出を担当、また1951年、42歳、同舞台の映画をマーロン、ヴィヴィアン・リー主演で製作、どちらも大成功を収め、これにて映画監督としての確固たる地盤を築く。――が、ハリウッド映画界は「赤狩り」の時代へ突入。ソ連との冷戦時代、アメリカは国内の共産党員の排斥、迫害に熱心であった。1952年、43歳、アメリカ下院非米活動委員会により元共産党員のカザンも厳しい取り調べを受け、最終的には彼らに妥協。仲間を売る形でこの難局を逃れたカザンであるが、後々この行為は卑劣なものであったと批判を受ける事となる。1998年、89歳にてアカデミー名誉賞を授与した際にはイアン・マッケラン、エド・ハリスといった参加者たち数名が拍手をせず無言の抗議を行っており、拍手をしたジム・キャリー、スティーブン・スピルバーグも席を立たないといった行為により、軽い抵抗感を示している。それはさて、赤狩り時代以後も珠玉のヒューマンドラマを描き続け、ジェームズ・ディーンという名俳優をスターダムに登らせたドラマ作品『エデンの東』、マーロン・ブランド主演『波止場』、ナタリー・ウッド主演『草原の輝き』など、傑作が多い。2003年、84歳にて永眠する。
3度の結婚暦がある。1人目のモリーとの間に4人、2人目のバーバラとの間に2人の子どもがいる。3人目のフランシスとは1982年、73歳にて結婚し、生涯を共にした。『紳士協定』にて仕事を共にしたグレゴリー・ペックと親交があり、グレゴリーはエリアの文化的功績を心より尊い、上記アカデミー賞授与を強く支持した。
ちなみに、映画界にとって不幸な赤狩りの時代において、共産主義の容疑を掛けられた人物の選択肢は2つ。仲間を破滅させ自らを守るか、仲間を守り自らが破滅するか――である。苦悩の末に前者を選択した映画人としては、エリア・カザン他、ロナルド・レーガン、ゲーリー・クーパー、ウォルト・ディズニーらが挙げられる。また同じく苦悩の末に後者を選択した映画人としては、チャーリー・チャップリン、オーソン・ウェルズ、ジョン・ガーフィールド、ウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストンといった人びとである。どちらを選んだにせよ、彼らは歴史の被害者である。こうした人類向上の明るさからかけ離れた歴史が、再び体現されぬ事を願うばかりである。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Elia Kazan (IMDb、英語)