ピーター・オトゥール(1932~)
アンソニー・ホプキンス出演、1183年のイングランド王室を舞台にした『冬のライオン』にてヘンリー2世役を演じた俳優、それがピーター・オトゥールである。端正な顔立ちの中にある一際青い目が印象的であり、重厚に演じているかと思うと、ふと軽妙さを滲ませる絶妙なバランス感覚を兼ね備える人物である。掴み所が無いようでいて、抜群の存在感を示す――こうした彼の演技的感性は、第一次世界大戦時における伝記的な史実作品、『アラビアのロレンス』にて最大限に発揮されている。

1932年、アイルランドのゴルウェイにて生まれる。本名はピーター・シーマス・オトゥール。父はフットボール選手、金属メッキ技師、競馬記事の発行者、母は看護婦。出生地に関しては不明な点が多く、イギリスのウェールズの可能性もある。1933年、1歳、父の仕事の関係で競馬のある町を巡る事となり、イギリス各地を転々とする。1939年、7歳、第二次世界大戦勃発後は一時的に避難、ピーターはカトリック系学校へ入学する。1947年、15歳、同校卒業後は地元の新聞者に就職し、記者として活動する。1949年、17歳、演技への興味を示し、地元劇団へ入団、舞台俳優として幾つかの舞台を経験する。翌1950年、18歳、英国海軍から連絡員の徴兵を受け、従軍。1952年、20歳、除隊した後に王立演劇学校へ入学、1954年、22歳まで演技の勉学に励む。同年、シェイクスピア劇の舞台への出演を果たし、これより本格的な俳優業を始める。イギリスのシェイクスピア劇俳優として地道にキャリアを積んだ後、1960年、28歳、『海賊船』にて映画初出演を果たす。同作品にて注目を集めると、続けて1962年、30歳、実在したイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスの史実作品『アラビアのロレンス』のロレンス役に抜擢、同作品の大成功と共に一気にスターダムを駆け上る。以後は、ウディ・アレン監督『何かいいことないか子猫チャン』、オードリー・ヘプバーン共演『おしゃれ泥棒』、ホラータッチのコメディ作品『プランケット城への招待状』――といった軽快なものから、スペイン史上最高の文学、セルバンデス原作、ソフィア・ローレン共演『ラ・マンチャの男』、ベルナルド・ベルトルッチ監督、中国清代最後の皇帝を描く史実作品『ラスト・エンペラー』、ブラッド・ピット主演、古代ギリシアのトロイ伝説をモチーフにした史劇『トロイ』――といった真摯なものまで、数多くのドラマ作品への出演を続ける。ディズニー配給のアニメ映画、『レミーのおいしいレストラン』では、声優として料理批評家イーゴ役を演じている。
1959年、27歳、女優シアンと結婚し、2人の子どもをもうけるも、20年後の1979年、47歳にて破局。身長は188cm。先のイギリス陸軍将校ロレンスの身長は165cmと比較的低く、その点では史実に頼らぬ設定と言える。
ちなみに、先述『ラ・マンチャの男』の原作である、セルバンデス著『才智溢れる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』は、1605年1月に出版された、程よい気軽さのある冒険物語である。しかし気軽と言えど、内容には狂気的な小気味良さ、幻想的な寓話性から、現実的なヒューマニズム、真摯な人間考察、といった風味もふんだんに盛り込まれており、「風車に突撃する老騎士」、「間抜けな従士サンチョ」といったお決まりのイメージに留まらぬ名作中の名作と言える。映画『ラ・マンチャの男』は質の高い作品ではあるが、物語の構造を大きく変えており、原作『ドン・キホーテ』の大ファンたる筆者としてはあまり納得の行く構成、演出を持ち得ていない。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Peter O’Toole (IMDb、英語)