ケーリー・グラント(1904~1982)
アルフレッド・ヒッチコック監督『汚名』にてイングリッド・バーグマンと共演した俳優、それがケーリー・グラントである。陽気で軽妙な雰囲気と共にどこか生真面目な安定感のある優雅な男――そんな役柄を真によく演じきる人物である。
1904年、イギリスのブリストルにて生まれる。本名はアークボルド・アレクサンダー・リーチ。家は裕福とは言い難かった。1913年、9歳、小学校の頃に母が精神疾患を患い失踪、父からは母が死亡したと伝えられる。この事件を境に彼自身の心も荒み始める。1918年、15歳、何かと問題を起こす生徒として、学校から退学処分。一方でこの時分、上流階級の仕草やアクセントを真似た小粋な男を演じる事で随分と気が晴れるのだし、こちらの人物像の方が上手く人付き合いが出来る事に気が付き、俳優としての道を志すようになる。同年、ボブ・ペンダー劇団に所属、2年間のアメリカ巡業に参加し、経験を積む。1931年、28歳、ハリウッド映画への初出演を果たすと、『断崖』、『汚名』、『泥棒成金』、『北北西に進路を取れ』といったアルフレッド・ヒッチコック傑作作品から、キャサリン・ヘプバーン共演『赤ちゃん教育』、デボラ・カー共演『めぐり逢い』、オードリー・ヘプバーン共演『シャレード』などのドラマ作品まで、見事に主演を演じきる。晩年になっても色褪せぬ魅力と共に出演を続け、この世を去る直前まで俳優としての仕事を続けた。1986年、82歳にて永眠。
5回の結婚暦があり、4人目のダイアンとの間に1人の子どもがいる。大スターであったが、食事は撮影所内の大衆食堂、宿泊は一般の安ホテルといった具合に、堅実な倹約家であったとの事である。イングリッド・バーグマンとは親友の間柄。
ちなみに、『007』の実写化が決まった際、製作側は初代ジェームズ・ボンドとして彼の起用を想定していた。この話はシリーズ物に難色を示したケーリーによって実現しなかったのだが、確かに彼の雰囲気はこれ以上になくボンド役に適している。いや、そもそもの話、原作者イアン・フレミングはケーリー・グラントをイメージしてジェームズ・ボンドを描いていたという話もある。ボンドのテーマソングを流しながらケーリーの出演場面を編集した動画を見てみるに、なるほど、確かにそのままそっくり、まるで『007』の如きである。彼のボンド役を見たかったものだ。
ムービーデータベース(IMDb、英語)<a href=" http://www.imdb.com/name/nm0000026/" target="_blank">Cary Grant (IMDb、英語)</a>