オードリー・ヘプバーン(1929~1993)
ウィリアム・ワイラー監督のヒューマンドラマ大傑作、『ローマの休日』、『噂の二人』、『おしゃれ泥棒』にて主演を演じた人物、それがオードリー・ヘプバーンである。容姿、声質、細やかな仕草に至るまで、彼女の演技は人びとを魅了して止まない。天使のような可愛らしさ、そして女神のような美しさを兼ね備えた、ほとんど奇跡的とも言える大女優である。

1929年、ベルギーのブリュッセルにて生まれる。本名はオードリー・キャサリン・ラストン。保険外交員であるイギリス人の父、貴族家系出身者であるオランダ人の母がいる。1934年、5歳にてイギリスへ移住。この頃から父がファシズム思想に傾倒し始め、翌1935年、6歳にて離婚。オードリーは母に引き取られる。1939年、10歳、オランダへ移住し、バレエダンサーへの道を歩み始める。この直後に第二次世界大戦が勃発、ドイツによって同国への無差別的な攻撃が始まり、戦争の渦中に巻き込まれる。反ドイツのレジスタンス活動に従事していた彼女の叔父、母の従弟が目の前で銃殺されたり、異父兄弟がドイツ強制収容所へ送還されたりと怒涛、陰惨たる日々が続くが、苦難に屈せず彼女自身もレジスタンス活動に参加をしている。1945年、16歳、大戦終結直前、ボランティアの看護婦として兵士たちを献身的に看護する。彼女に看護された兵士の中に、後に彼女の主演映画『暗くなるまで待って』を製作する事になる映画監督、テレンス・ヤングがいる。同年、大戦終結後はロンドンへ移住、テレビドラマや映画の端役をこなし、日銭を稼いで生活を支える。1952年、23歳、映画『モンテカルロへ行こう』へ出演中、たまたま見学に来ていた脚本家コレットに見初められ、これが契機となりブロードウェイ舞台への出演を果たす。この舞台が大好評を博した後、『ローマの休日』のアン王女役に抜擢、作品も演技もとびきりの大成功を博し、女優としての地盤を固める。以後、舞台『オンディーヌ』、『麗しのサブリナ』、『戦争と平和』、『ティファニーで朝食を』、『マイ・フェア・レディ』などの大傑作へ出演。世界中のファンたちを魅了し続けた後、1989年、60歳、スティーブン・スピルバーグ監督のドラマ作品『オールウェイズ』の出演を最後に、女優の引退を表明する。映画界を去った後は、ユニセフ親善大使の仕事に専念。1993年、64歳にてこの世を去るまで、恵まれぬ子どもたちに残りの人生を捧げた。
1954年、25歳、舞台『オンディーヌ』で共演した俳優メルと結婚、その後も『戦争と平和』、『緑の館』、『暗くなるまで待って』にて共演し、1人の息子をもうけるも、14年後の1968年、39歳にて破局。1969年、40歳にてイタリア人精神科医アンドレアと結婚し、1人の息子をもうけるも、12年後の1981年、52歳にて破局。それ以後は俳優ロバートと同棲をしていた。生まれ育った環境もあり、英語、スペイン語、フランス語、オランダ語、イタリア語が堪能である。
ちなみに、彼女はドイツ占領時代にオランダに隠れ住んだユダヤ人の少女、アンネ・フランクと同い歳であり、また同時期に共にオランダに住まっていたという共通点もある。それだけにアンネの事を初めて知った彼女はひどく悲しく、やりきれない思いに捉われたという。1959年、30歳、『アンネの日記』の映画化構想が持ち上がった際、そうした背景からアンネ役としてオードリーを起用するアイデアが持ち上がったが、「14歳のアンネを演ずるには歳を取り過ぎているし、また当時の苦しい思いをもう一度蘇らせたくない」という本人の意向があり、この話は実現に至らなかった。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Audrey Hepburn (IMDb、英語)