ショーン・コネリー、007(1963~)
マイク・マイヤーズ主演の『オースティン・パワーズ』は、冷戦時代に冷凍保存されたスパイ男が現代に蘇り、物語性や論理性をすっぽかして好き勝手に活躍する、何とも隙のないコメディ傑作である。同作品がパロディ元にしたシリーズ、それがスパイ映画の金字塔である『007』である。そして、この007において初代ジェームズ・ボンドを演じてシリーズの基礎を築き上げた人物、それがショーン・コネリーである。
1930年、スコットランドのエディンバラに生まれる。本名はトーマス・ショーン・コネリー。父は自動車工場の技師である。高校卒業後、牛乳配達、イギリス海軍、トラック運転手、美術モデルといった様々な仕事を経験する。ボディービルディングを趣味として体を鍛え上げていたが、1951年、21歳にてキング劇場の裏方のアルバイトを経験し、ここから演劇にも興味を抱くようになる。1953年、23歳、重量上げコンテストに出場した際に知り合った友人から俳優になる事を勧められた事をきっかけに、本格的に俳優への道を歩み出す。1954年、24歳からテレビや舞台へ積極的に出演して経験を積み、1962年、32歳、『007 ドクターノウ』にてジェームズ・ボンド役に大抜擢される。骨太でシリアスな舞台だが、どこか滑稽味すら漂う軽快な同作品は人気を博す。映画はシリーズ化され、ショーンは7作品に渡ってジェームズ・ボンドを好演し、俳優としての地盤を括弧たるものにする。このシリーズと並行して、またシリーズ終了後も、『史上最大の作戦』、『遠すぎた橋』、『ザ・ロック』などのアクション作品から『アンタッチャブル』、『小説家を見つけたら』などのドラマ物まで、様々な傑作への出演を果たしている。2000年、70歳、文化的貢献を評価され、エリザベス女王からナイトの称号を授与される。2005年、75歳にてアニメ作品『ビリー・ザ・ヴェット』のビリー役として声優を演じた後、2006年、76歳にて俳優業の引退を口にした。しかし近く、再び先のビリー役、あるいは『007』のゲーム内において、声優を演ずる事が決定している。
1962年、32歳、女優ダイアンと結婚し、息子ジェイソンをもうけるも、11年後、1973年、43歳にて破局している。1975年、45歳にフランス人芸術家のミッチェルと再婚し、現在に至る。9歳からタバコを吸い始めたという極度のヘビースモーカー。1993年、63歳にて喉頭ガンを患って治癒した後は、煙草への執着心は薄らいでいる。祖国スコットランドの独立を強く願っており、先のナイト称号授与の際にもスコットランドのキルト民族衣装で式場に臨み、受賞スピーチでは授与への感謝の辞というよりもスコットランド独立への意志を訴えるコメントを述べている。
ちなみに、彼の出身地であるエディンバラは、切り立った玄武岩の崖と奥深い森というスコットランドらしい明媚な土地柄である。ここからはアダム・スミスやディビッド・ヒュームなどの哲学者が輩出された他、J・K・ローリングが『ハリーポッターと賢者の石』を書き上げた街としても有名である。
『007』シリーズの原作者イアン・フレミングは1908年、イギリスのロンドンに生まれた。父は国会議員。陸軍士官学校卒業後、銀行員、ロイター通信社モスクワ市局長を経て、1939年、31歳からイギリス情報局秘密情報部、いわゆるMI6での活動を始める。1945年、37歳、終戦を迎えた後はジャマイカの別荘に移り、1953年、46歳にて007作品初となる『カジノロワヤル』を発表する。
当初、007の文学作品はシリーズ化し、また短編ドラマとして映像化されこそしたが、大きな人気は出なかった。しかし1959年、51歳、ケネディ大統領が『ロシアより愛を込めて』のファンであると知られてからファンが増え始め、1962年、54歳、『007 ドクター・ノウ』にて初映画化がなされ注目される。以後、シリーズはジェームズ・ボンドの俳優を入れ替えながら、初代ジョーン・コネリーで7作品、二代目ジョージ・レーゼンビーで1作品、三代目ロジャー・ムーアで7作品、四代目ティモシー・ダルトンで2作品、五代目ピアーズ・ブロムナンで4作品、そして現在の六代目ダニエル・グレイグで2作品、合計で22作品が作られている。最新作は2012年に公開される予定であったが、製作会社の経営難により製作開始の目処は立っていない。
ムービーデータベース(IMDb、英語)<a href=" http://www.imdb.com/name/nm0000125/" target="_blank">Sean Connery (IMDb、英語)</a>