ジュリー・アンドリュース(1935~)
ロバート・ワイズ監督のミュージカル映画の大傑作『サウンド・オブ・ミュージック』のマリア役として、あの心の震えるような素晴らしき歌声を披露せしめているのが、ジュリー・アンドリュースである。愛らしく、茶目っ気のある演技で大きな存在感を示す大女優だ。
1935年、イギリスのサリーに生まれる。本名はジュリー・エリザベス・アンドリュース。2人の弟がいる。父は教師であるが、彼は母バーバラの再婚者であり、ジュリーとっては義父である。1939年、ジュリー4歳の頃、先の両親は芸人として活動していたが、なんと自分の娘が既に4オクターブの声域を持ち合わせていた事に気が付き、早速本格的な稽古を付け始める。1947年、12歳にてロンドンの舞台に初出演し、その後も着実にキャリアを重ねて行く。1954年、19歳にてアメリカへ移住、同年『ボーイフレンド』にてブロードウェイ・ミュージカルへ初出演を果たすと、続けて『マイ・フェア・レディ』、『キャメロット』といったミュージカルに出演、これらの舞台が大成功を収める。1964年、29歳、ウォルト・ディズニーが彼女の才能を見初め、ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の主役に抜擢。この役の好演を受け、翌1965年、30歳、同じくミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージカル』に主演、この作品が世界に及んで大人気を博した事で、名実共にスターダムを駆け上がる。その後は結婚生活を優先する形で比較的小さい仕事、テレビやライブなどの活動を主としていたが、1980年、45歳頃からまた映画にて活躍を始め、1990年、55歳頃からはブロードウェイに再び登場して脚光を浴びる。1998年、63歳にて声帯腫瘍が見つかり手術をするも失敗、声にかすれが残る。それでも女優に復帰した彼女はその後、女優の仕事と共に、『シュレック』、『プリティ・プリンセス』などの声優としても活躍をし続けている。2000年、65歳、エリザベス女王より大英帝国勲章を授与された。
1959年、24歳、デザイナーのトニーと結婚し1人の娘をもうけるも、1968年、33歳にて破局。その後1969年、34歳、映画監督ブレイクと結婚した。ベトナム生まれの女の子2人を養子に迎え入れている。ジュリー夫妻はベストカップルとして有名である。
ちなみに、『メリー・ポピンズ』に登場する、元気になるおまじないの言葉は、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス《Supercalifragilisticexpialidocious》。筆者が無理やりこの言葉を日本語に訳すとするならば、「超高らか賑華やか格特別見事天晴らしい」といった所だろうか?まるでルイス・キャロル著『鏡の国のアリス』のジャヴァウォッキーの詩だ。
ムービーデータベース(IMDb、英語)<a href=" http://www.imdb.com/name/nm0000267/" target="_blank">Julie Andrews (IMDb、英語)</a>