ロバート・ワイズ(1914~2005)
2008年、キアヌ・リーブス主演『地球が静止した日』は、1951年に製作されたSF傑作『地球の静止する日』のリメイク版である。原題はどちらも《THE DAY THE EARTH STOOD STILL》。ご丁寧にも助詞を少しずつ変えるという稚拙な邦題の付け方をしてくれたお陰で、インターネット検索など際には全く不必要な混乱を招く事と相成っているが……それはさて、後者の作品を監督した人物、それがロバート・ワイズである。映画文化への貢献大きく、数々の名作をこの世に送り届けた人物だ。
1914年、アメリカのインディアナに生まれる。本名はロバート・アール・ワイズ。父は生肉業者である。舞台芸術に対して早くから興味を抱いていたロバートは、1935年、19歳、高校卒業と共に映画音響の仕事に携わっていたRKO社に入社し、現場から着実に技術を身に付けていく。1941年、25歳にてオーソン・ウェルズ監督、主演の『市民ケーン』の編集者として参加。同作品に対して行われた斬新な演出、編集の手法が高く評価され、アカデミー編集賞にノミネートされる。経験を積み、1944年、38歳にて映画初監督を任されるが、そのまましばらくは実験的な小作品を製作し続ける。名作と呼ぶべき大きな作品を作り始めたのは、1951年、45歳にて製作した『地球の静止する日』が大きな人気を博した辺りから。以後、年間数本のペースで作品を作り続け、1961年、55歳にて『ウエスト・サイド物語』、1965年、59歳にて『サウンド・オブ・ミュージック』と、ミュージカル映画の大傑作と言うべき2作品にて大成功を収め、それぞれアカデミー監督賞を受賞した。晩年はSF作品を手掛ける事が多くなり、1979年、71歳の頃にはスタートレック史上初となる映画版『スタートレック』を製作、こだわりの強いスタートレックファン達を納得させる作品を築き上げている。全米映画監督ギルド、映画芸術科学アカデミーにて会長を務めながら作品を撮り続け、2005年、91歳にて永眠した。
1942年、28歳の頃にパトリシアと結婚し息子をもうけるも、1975年、51歳の頃に彼女が他界。1977年、53歳、ミリセントと再婚した。愛称はボビー。
ちなみに、『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐とその家族、修道女マリアは実在の人物であり、同作品はその実話を基盤にした物語である。この美しく優しい大傑作をこよなく愛し、ラストシーンの壮麗な山々が強く印象に残っている諸賢も少なくなかろう。無論筆者もその1人であるが、その一方で、このラストシーンに映る山々は実話の亡命ルートとはまるで真反対のロケーションにあり、当時の状況を知る人びとからは不満の声が挙がったらしい。映画の中で彼らがあのまま進むと完全なるドイツ領に進入し、しかもその途中にはヒトラーの別荘まで聳え立っているというのだから、それは確かにお笑い草である。
ムービーデータベース(IMDb、英語)<a href=" http://www.imdb.com/name/nm0936404/" target="_blank">Robert Wise (IMDb、英語)</a>