押井守、士郎正宗(1951~)
『メタルギアソリッド』シリーズのスネーク役声優、大塚明夫が演ずる有名な人物の中に「バトー」がある。これはハードSF作品の大傑作『Ghost in the Shell/攻殻機動隊』に登場する主要人物だ。漫画であった同作品を映像作品として世に送り出した人物、それが押井守である。混沌と深淵な気風の漂う独自の作品が特徴的だと言える。監督宮崎駿と親交があり、お互いにその才能を認め合っている仲だ。
押井守は1951年、日本の東京に生まれた。3人兄弟の末っ子である。父は私立探偵という珍しい職業に就いていた。少年時代から映画への憧れを強くした彼は、1970年、19歳にて東京学芸大学に進学するとすぐに映像芸術研究会を立ち上げ、友人たちと共に自主制作映画を撮影していく。1973年、22歳にて卒業後、希望した映画会社に入社する事が出来ず、しばらく安穏とした日々を過ごす。1977年、26歳、たまたま電柱に貼られていた求人情報を目にし、映像会社タツノコプロに入社。ここで着実に経験を積み、1980年、29歳にてアニメ映像会社スタジオぴえろに移籍し、1981年、30歳からは高橋留美子原作の傑作アニメ『うる星やつら』の総合演出を手掛けるようになる。このアニメ現場で培った経験が彼独特の構成、描写手法を生み出す。1924年、33歳にて退社し、フリーの演出家として独立。以後、『Ghost in the Shell/攻殻機動隊』、続編となる『イノセンス』、戦争が娯楽文化になったという架空の近未来を舞台にした『スカイ・クロラ』などの名作アニメ長編映画を製作している。
『攻殻機動隊』の原作者である士郎正宗は、1961年、日本の兵庫にて生まれた。早くから漫画家に憧れ、1980年、19歳にて大学在学中に出版社へ自らの作品を売り込み、青心社から『アップルシード・I』でデビューを果たす。以後、現実と虚構を織り交ぜた見事な近未来観を築き上げ、この世界観を基盤にハードなSFの世界を描き続けている。彼の漫画は1ページ毎にSF世界が凝縮されている。彼の作品を目にした諸賢は存じていようが、読了には文学のように時間が掛かる。軽快な感性を好む日本人より、むしろ欧米人に絶大なる人気を誇っている漫画家である。
攻殻機動隊の世界は第三次、及び第四次世界大戦を経た、21世紀の近未来を舞台としている。それは広大なインターネット網や革新的な生態技術に支えられた科学技術躍進の時代にあり、人間は科学技術との狭間で新たな倫理観の構築に揺れている。物語は内務省直属の公安組織「公安9課」に属する人びとを中心に描かれる。漫画版は1991年、正宗が30歳の頃に出版され、全5巻がシリーズとして製作されている。映像では上記の映画の他、2002年、2004年に26話のアニメシリーズが2編、2006年に長編テレビ作品が1編が製作されている。スティーブン・スピルバーグが『攻殻機動隊』3D実写化の権利を購入している。しかしそもそも、1982年に製作されたリドリー・スコット監督のSF傑作『ブレードランナー』が本作品の源泉にある事を鑑みれば、映像化は既に行われていると言っても良さそうだ。スピルバーグはどう太刀打ちするつもりであろう。
押井には映画の主要な要素である音楽へのこだわりがあり、宮崎駿と久石譲の関係よろしく、彼は常に音楽を川井憲次に担当させている。川井は背景に溶け込むような旋律的楽曲を主なモチーフとする作曲家である。ところで押井は学生時代に年間1000本もの映画を観た時期があった。筆者も今年1月からざっと計算すると550作品近い映画を鑑賞、分析しているので、このまま推移すればおおよそ彼と同程度の分量を脳に焼き付ける事となろう。
幻の企画がある。1984年、押井が33歳の頃、『ルパン三世 カリオストロの城』を製作した宮崎駿の推薦があり、シリーズ次回作を押井守が製作する事が決定した。しかし物語として余りに奇抜であった彼の企画はとうとう断念せざるを得ず、製作はそこで頓挫してしまった。その後、2000年、49歳の頃にもう一度『ルパン三世』製作の打診があり、製作側はどんな企画をも受け入れる条件を申し入れたものの、彼は「ルパン三世」という確立されきった人物像を扱いきれないとして首を縦に振らなかった。
ムービーデータベース(IMDb、英語)<a href=" http://www.imdb.com/name/nm0651900/" target="_blank">Mamoru Oshii(IMDb、英語)</a>