ジーン・ケリー(1912~1996)
フランク・シナトラ出演のミュージカル傑作、『私を野球につれてって』、『踊る大紐育』にて共演している俳優、それがジーン・ケリーである。彼もフランクと同様、20世紀最高の総合的エンターテイナーの1人と言え、抜群の歌踊力、加えて明るく爽やかな演技により、ハリウッド黄金期の柱となった人物である。
1912年、アメリカのペンシルバニアにて生まれる。本名はユージーン・クラン・ケリー。アイルランド移民の家系、父は写真家。兄がいる。1920年、8歳、母の勧めにより、兄と共にダンス教室に通うも、少年の仲間うちからダンスの仕草をからかわれ憤慨、中途で同教室を辞める。1927年、15歳、異性に好かれたいという希望から再びダンスを習い始め、地道に技術を磨く。1929年、17歳、大恐慌の煽りを受け家計が傾き、一時的に大学進学を断念。兄と共に賞金の出る地元ダンスコンテストに参加、またナイトクラブで踊るなど、ダンスによって日銭を稼ぐ。1930年、18歳、家族でダンス教室を開講し、家計が安定。翌1931年、19歳、ピッツバーグ大学経済学部へ進学、1933年、21歳にて卒業後は、家族のダンス教室の経営に携わると共に、自らの才能を磨き続ける。1938年、26歳、ブロードウェイの舞台に初出演、1941年、29歳にてMGM社と契約し、翌1942年、30歳にてジュディ・ガーランド共演のミュージカル作品『フォーミー・アンド・マイ・ギャル』にて映画初出演を果たす。同作品において演技、ダンス、歌の質の高さを高く評価された彼は一気に注目を浴び、『雨に唄えば』、『踊る大紐育』、『巴里のアメリカ人』、『錨を上げて』といった傑作ミュージカル作品へ次々と出演を続ける。また同時に、その多くの作品において監督、脚本、振り付け師として製作に関わっており、その活躍は実に広範囲に及んでいる。1986年、76歳まで映画、舞台、テレビなどで活躍し、以後は活動を縮小。1996年、86歳にて永眠した。
3度の結婚暦がある。1回目のベッツィとの間に1人の子どもが、2回目のジャンヌとの間に2人の子どもがいる。作品の中ではジャッキー・チェンが如く、スタントを使わない。野球観戦が趣味で、ニューヨーク・ヤンキースの大ファンである。
ちなみに、MGM社を代表する可愛らしいネコとネズミ、『トム&ジェリー』と共演した俳優が、これまでに2人存在する。1人が世界的な競泳選手からハリウッドに転向した、名ミュージカル女優、エスター・ウィリアムズ。そしてもう1人が、ジーン・ケリーである。尚、実写ジーンとアニメのトム、ジェリー、という華麗な共演は『錨を上げて』にて実現したのだが、実は当初の共演者はウォルト・ディズニー社のミッキーマウスである。ディズニー社がこの企画を却下した為、トムとジェリーにお役が回って来たという訳だ。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Frank Sinatra(IMDb、英語)