ヴィヴィアン・リー(1913~)
エリア・カザン監督、『欲望という名の電車』にてマーロン・ブランドと共演している女優、それがヴィヴィアン・リーである。誇り高く高貴で妖艶な雰囲気から、何とも幼い可憐な雰囲気までを兼ね備えた人物だ。
1913年、インドのダージリンにて生まれる。本名はヴィヴィアン・メアリー・ハートレイ。アイルランドの家系。父は事務員である。生後すぐに一家はイギリスへ移住。1916年、3歳、 アマチュア劇への出演を経験。幼少時代は母の勧めにより、『不思議の国のアリス』でお馴染みのルイス・キャロルから、ギリシャ神話、インド民話など、物語に親しむ。1920年、7歳、寄宿制の修道院学校へ進学するも、この頃から女優への憧れを強くする。1931年、18歳、修道院学校を中退後、王立演劇アカデミーにて演劇の勉学を始める。1934年、21歳より、舞台劇『緑の飾り帯』、『美徳の仮面』など、イギリス舞台を中心に本格的な女優の活動を始める。翌1935年、22歳、『探し出されるもの』にて映画初出演を果たし、注目を集める。グレゴリー・ペック共演『紳士協定』、16世紀末のスペインの歴史をモチーフとした史実作品『無敵艦隊』などでハリウッド映画でも活躍するようになった後、1939年、26歳、たまたま撮影現場を見学していた際に見出され、南北戦争時のアメリカを舞台とした文学作品、『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット役に抜擢、同作品の大成功と共に女優としての確固たる地盤を固めるに至る。以後、第一次世界大戦時のロンドンを舞台にした『哀愁(原題訳;ウォータールー橋)』、ローレンス・オリヴィエ共演『美女ありき』、トルストイ原作『アンナ・カレニナ』、『欲望という名の電車』、『ローマの哀愁』など、恋愛を交えた名作ヒューマンドラマへの出演を続けた。1967年、54歳、結核により永眠する。
1932年、19歳、ハーバートと結婚し1人の子供をもうけるも、イギリスの俳優ローレンス・オリビエに熱を上げ、1940年、27歳にて破局。まさに『アンナ・カレニナ』の様相を呈する形で、同年、ローレンスと結婚。ローレンスとは二度の流産を経験し、これが原因で躁うつ病を患い、1961年、48歳にて破局。ただし両者とも、破局後も良好な関係を続けたらしい。ニックネームはヴィヴィリング《Viviling》であるが、こちらは彼女の父が名づけたもの。”ヴィヴィアン《Vivian》”と”最愛なる《Darling》”を掛け合わせた呼び名である。
ちなみに、チャーリー・チャップリン監督、主演作品『モダン・タイムス』、『独裁者』などに出演している女優、ポーレット・ゴダードは、当初、『風と共に去りぬ』における大勢のスカーレット役候補の中から出演がほぼ決定していた人物である。ヴィヴィアンが唐突に抜擢された理由は、無論、彼女とスカーレット役の相性が良かったからであるが、それと同時に、ポーレットがチャップリンと結婚をしないまま同棲していたというスキャンダルが報じられていたからである。当時のアメリカの美的価値観を伺える一事だ。