マーロン・ブランド(1924~)
映画監督チャーリー・チャップリンがイギリスで製作した最後の作品、ソフィア・ローレン主演のヒューマンドラマ劇、『伯爵夫人』にて共演した俳優、それがマーロン・ブランドである。圧倒的な演技力が醸し出す存在感が秀逸、静けさも激しさも、奇怪さも重厚さも見事に演じ分ける人物だ。

1924年、アメリカのロサンゼルスにて生まれる。本名はマーロン・ブランド、ジュニア。オランダ、ドイツ、イングランド、アイルランドの家系。父は駆虫剤業者、母は劇団経営の女優。2人の姉がいる。幼少時代、父親の酒癖が悪く、家庭環境はお世辞にも平穏なものではなかった為、マーロンも次第に擦れた性格の持ち主となる。1935年、11歳、両親の離婚により母に引き取られるも、2年後の1937年、13歳にて復縁、再び父親と同居。家庭環境は改善されたものの、相変わらずマーロンの気性は荒く、1940年、16歳、高校を退学に処せられる。一方、同時期から人真似の類稀なる才能を示していた。同年、性格の矯正の為にアメリカ陸軍アカデミーへ強制入学されるも、1942年、18歳、卒業直前に退学処分。彼を愛する多くの友人たちが退学処分に徹底抗議し、復学が認められるも、マーロンはそのまま処分に甘んじて同校を去る。電気技師、配管技師の仕事に就いた後、1945年、21歳、姉たちを頼りにニューヨークへ移住。女優を目指していた長姉ジョスリンが弟マーロンの才能を見抜き、彼女から俳優の道を勧められたのを契機に、演劇学校へ。1947年、23歳、エリア・カザン演出のブロードウェイ舞台『欲望という名の電車』にて初出演を果たし、注目を浴びる。幾つかのキャリアを重ねた後、1950年、26歳、同じくエリア・カザン監督による映画、ヴィヴィアン・リー共演、『欲望という名の電車』にて主演を好演、これにより一気にスターダムを駆け上る。その後は『乱暴者』、エリア・カザン監督『波止場』、『八月十五夜の茶屋』、『戦艦バウンティ』といった作品にて型破りで独特の存在感を示し続ける。ただし俳優として抜群の彩を放つ一方、一個人としては共演女優への誘惑、不真面目で不遜な態度、高額のギャラ要求など、完全なトラブルメーカーであり、次第に映画界から疎外され始める。が、1972年、48歳、フランシス・コッポラ監督、『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネ役に抜擢され、再び大きな脚光を浴びる。以後も『地獄の黙示録』、『ラストタンゴ・イン・パリ』、『ドンファン』、『ブレイブ』といった幅広いドラマ作品にて好演を続ける。もっとも、相変わらずの問題児ではあり、出演作品ごとに高額なギャラを要求、1978年、54歳にて出演した『スーパーマン』では、冒頭の僅か20分間の出演で1400万ドル、約1億2000万円ものギャラを獲得している。無論この場合、製作側がそれだけの価値を彼に認めているからこその報酬であり、どこぞの島国の価値無き政治家の濡れ手に泡状態とは訳が違う。2004年、80歳にて永眠する。
3度の結婚暦があり、インド系のアナとの間に1人、メキシコ系のトリータとの間に2人、東南アジア系のタリタとの間に2人と、それぞれ子どもがいる。息子クリスチャンは、射殺事件を起こすなど多くの問題を引き起こした後、49歳にて逝去した。ヘンリー・フォンダの娘、女優のジェーン・フォンダ、マイケル・ジャクソン、ジョニー・デップらと親友。過食症の傾向があり、後年は120kgに達することもあった。当時のアメリカにおいて公然と行われていた人種差別を嫌う者のうちの1人で、チャールトン・ヘストンらと共に歴史に名を残す公民権運動、ワシントン大行進に参加した事もある。先住民ら少数民族への迫害を抗議する意味で、『ゴッドファーザー』におけるアカデミー主演男優賞の受賞を拒否している。アマチュア無線が趣味のひとつ。
ちなみに、現在の夏服として一般的なTシャツであるが、これは先述の映画作品、『欲望という名の電車』にて終始下着の綿シャツ姿でいたマーロン演ずるスタンリー役の影響から普及した文化だと言われている。映画の力は偉大である。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Marlon Brand (IMDb、英語)